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マイセン(Meissen)はドイツ・マイセン地方で生産される磁器の呼称であり、今では西洋磁器の頂点に君臨する名窯とも言われています。
このマイセンの原点ですが、17世紀のヨーロッパ王族・貴族社会においては、当時アジアからもたらされた白磁器は当時のヨーロッパ王族・貴族社会では憧れの芸術品であったのです。
そして各国が競ってその製造開発に乗り出したのですが、その中でもザクセン王国のアウグスト強健王は、当時有名な錬金術師であったヨハン・ヘドガーにその研究を命じ、ベトガーは物理学者チルハウスらの協力を得て、1709年にザクセン・フォークラント地方のアウエ鉱山のカオリンを原料とした白磁の製造に成功し、西洋磁器の歴史の幕が開けたと言われています。
翌年1710年には、ドレスデンに「王立ザクセン磁器工場」が設立され、硬質磁器製造の独占権が与えられ、これが現在の「国立マイセン磁器製作所」の始まりとなっています。
この工場ですが、当時“最高国家機密”とされ、製造の機密を守るためにこの磁器工場は25km離れたエルベ川沿いのアルブレヒト城(マイセン地方)の内部に移されたのです。
そして、この工場で働く職人はいわば幽閉された存在ともなり、一切外部に出ることさえも適わなかったとも言われています。当時、それほど陶磁器の製造には国家・王家の威信がかけられていたとも言えるのです。
ところで、このマイセンが1710年から300年近くたってもいまだにその地位を不動にしている理由は、その立地条件にもあると言えます。
このマイセン地方はエルベ川を運搬に使うことが出来、材料や完成した製品の輸送が容易であったことや近くにカオリンを採掘できる鉱山もあったことがあげられるのです。
原材料、運搬、職人等全ての条件がそろったマイセンがいまだ世界に君臨するのも必然だったと言えるかも知れません。
ところで、マイセンのデザインですが、ごく初期のマイセン作品は白磁そのもので、白磁の巨大な像等が作られお城等に飾られていましたが、その後アジア(中国の五彩磁器や日本の有田焼等)の影響を受けアジア風文様が描かれましたが、1720~1730年代に登場しました有名な絵付師であるケンドラー氏等によって徐々にヨーロッパ風の田園風景、戦闘図、港湾図、天使、お花等といった”絵画“が描かれるようになり、まさに<マイセン・デザイン>とも言える絵風が確立されていったのです。
そして、マイセンの作品にはその真贋証明のために交差した二本の剣のトレードマークが1722年から用いられており、その後、以下の通り年代によって変化しています。

1720年当時
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1722年以降
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1763年以降
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1774年以降
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1815年以降
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1924年以降
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1934年以降
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1972年以降
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弊社がご紹介しますマイセン作品は、絵柄・状態とも完璧なものばかりであり、自信を持ってお奨め致します。
1710年から世界中の人々に愛され続けてきていますマイセンの陶磁器・お皿をぜひご自宅に飾り、お楽しみ頂けましたらと思います。
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